「娯楽、そして夢です。」イベント事業について:ウルトラマンスーツアクター 古谷敏さんインタビュー
1966年放送より半世紀以上活躍する日本を代表するヒーロー「ウルトラマン」。
そのウルトラマンで欠かせないのが光線や火薬などをはじめする特殊撮影=特撮。
ウルトラマンのスーツアクター、俳優として活躍された古谷敏さんに、
前回は円谷英二監督についての思い出の数々を語っていただきましたが、
今回はスーツアクター活動のその後、イベント事業を立ち上げ、全国でキャラクターショーを手掛けられた経緯と思い出を語っていただきました。
※前回はこちら!
- どのような経緯でイベント業に携わることになったのでしょうか。
きっかけの一つはウルトラセブンのアマギ隊員が終わって、俳優として次の仕事が無かった。
東宝の専属契約のころは何もなくても専属料はもらえていました。
それがウルトラマンが終わった段階で契約が解除されたんですね。
もう一つはウルトラセブン放送中は隊員のサイン会が各地で行われて、
その時の子供たち輝く目とか雰囲気を見ていて、これはいけるよなって感覚がずっとあった。
ぬいぐるみをつかって全国のスーパーや遊園地を回れば、年中仕事にもなるだろうと。
それで子供を対象にしたショービジネスのビンプロモーションを立ち上げました。
- 今では定番のキャラクターショーの先駆けですね。
自分がベースを作ったという自負はありますね。
お金は子供からはとらないようにして、デパートに営業をかけました。
「子供が100人集まれば親も100人集まりますよ」と。
デパートからすれば子供が集まるし、ショーが終わったら
何かを買ったり、飲んだり食べたりしてくれます。
アマギ隊員をやっていたのも効果ありましたね。
- ショーの構成はどうだったんでしょうか。
デパートの屋上で一日3回(11:00、13:00、15:00)ショーを組みました。
お昼は昼食タイムがあるのでそこは避けて、ショーが難しければ店内パレードです。
パレードすると子供がついてくるので、そこで次のショーの予告をしてね。
あんまり遅いと、親御さんが夕食の支度に間に合わなくなるので、
16:00には終わるように組んでました。
時間組みや段取りを全部ぼく自身で考えてました。
コンピューターもない時代に今思うとよくやりましたね。
- 本当に今の基礎を築いたんですね。
24年間、長いですね。
円谷プロ以外の作品もたくさんやりましたよ。
80年代は東映さんの戦隊もやりました。
開催も全国に広がって多い時には毎週末1日20本以上、
ショーに稼働する人数もどんどん増えて、マネージメントをするだけで精一杯。
そのうちショー以外の催しも頼まれるようになって…新装開店のテープカットのセレモニー、式典ですね。
そちらもやるようになって、デパートは1年間に何店舗も開店するので、
もう家に帰るどころじゃありませんでした。
- 印象に残ってる現場とかございますか?
それはもうたくさんあります。
子供が集まりすぎて、入場制限になったりとか、交通整理になったりとか。
でもやっぱりあの時代の子供ですね。
今のゲーム感覚とは違う感じというか、目が輝いてましたね。
ぬいぐるみを見る目が違うんですよね。
- 人の集め方も今とは随分違いますよね。
もちろん、スマホも何もないですからね。
今はちょっとね、心がない。
でもそこで大切にしてかなきゃいけないのが円谷英二さんの「子供に夢を」の精神ですよ。
120年どこじゃない、もっと繋げてかなきゃいけないと思います。
ぼくももう後何年で海外に行けなくなるかもしれないし、
もっと世界に向けて特撮を語れる俳優さん、スーツアクターさん出てきてほしいですね。
- 最後になりますが、今コロナでなかなか生のイベントが厳しい状況です。
イベントを頑張りたい方に何か応援メッセージなどいただけましたら…。
色々大変だと思いますが、若い方にはコロナに負けないで企画だけでもどんどん出してほしいですね。
コロナが落ち着いた段階で、何が求められるか。
娯楽、そして夢です。
でも、金儲けのためだけにエンターテイメントをやるのはダメ。
楽しませる娯楽、夢を考えないと。
ぼく自身も頑張ります。
- 今日はありがとうございました!!
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